綴るのが好きな一人の人間の独り言。ジャンルはありません。

誰が何を愛しても間違いではないけれど

11月3日。

世界規模、いや、日本規模で見たって何でもない日かもしれない。

1年のうちの何でもない日。祝日でもない。繰り返す日々の中のひとつに過ぎない。

確かにそう。でも違くて…

20年前の11月3日。

期待とか希望とかそんな綺麗で輝いた気持ちじゃなくてもっと汚い不安とか結果とかを気にしながら踏み出した一歩。

日本に、いや、世界に、「嵐」が芽を出した日。

「おめでとう。」「ありがとう。」何を伝えようか。

正直私が5人を知るのは5年くらい先の話でデビューした時をこの目で見ていないし、初めて人の耳を通っていったA ・RA・SHIも知らない。

ずっと応援してた幼い少年が新しい1歩を踏み出した親のような気持ちも私には分からない。

私がこの世に生を受けた時には既に彼らは嵐だったから。

20年 私の人生よりも長い時間を、不安定な船で荒波に立ち向かうように過ごす。どれほど難しいことか私には到底想像もつかない。

無我夢中に漕いだ時周りを見渡せば家族でもない、友達でもない言葉では表せない関係に変わってた。そうでしょう?

「嵐を知らない人はいない」これは大袈裟な比喩かもしれない。

探せばいくらでも知らない人なんているけれどそういう事ではなくて、こういう喩えを使われるまでになったということが辿り着いた所だと思う。

嵐が好きだといえば有名どころだなんて思われるのが私はずっと悔しかった。

有名だから、人気だから好きなんじゃないってずっと思ってた。

でも今は好きな人が有名で人気なんて凄いことなんだって思える。

誇りじゃないか、とまで思えるようになった。

姿を人目見て、声を耳で聞きたいと思われ、それが出来れば希望につながる。

そう思われている人たちを好きな事、心から誇りに思う。

音楽は、エンターテインメントは、一過性のものに過ぎない、この常識を変えられるのは5人だけなのではないか、

お互いがお互いを信じて身を委ね、支え合いながら手を取り合って必ず横並びで歩んできた20年を私はまだまだ知らない。

どんだけ頑張って追いつこうとしても絡まりあった指と指を離すことは不可能。

他のグループと比べる必要も無い。

唯一無二で不可侵な5人、それが「嵐」でしょう。

5人が無邪気なまま屈託のない笑顔をずっとずっと映し鏡のように照らし合わせている未来がこの先もありますように。

誰一人苦しみませんように。

表舞台に立たなくても人生の千秋楽の最後の時まで5人が嵐の一員でありますように。

嵐に出会えて良かった。嵐を好きになれて良かった。

私がここまで生きてきたのは紛れもなく嵐を見つけたから。

私のこれまでの人生に彩を加えてくれたのは嵐です。

嵐の成人式だって、おめでとう。

そしてこれからも5人が手を広げて世の中に少しの幸せを放ってください。

まだまだ同じ夢を見させてね。

今までも、これからもありがとう。

 

''この世の誰が何を愛しても間違いではないけれど嵐を愛することが正解のように感じられる。''

 

そんな風に思わせてくれる

 

親愛なる最高のエンターティナー達へ。

 

2019.11.03  Thank you & Big love

 

🍽多彩な感情のフルコース🍽

遅ればせながら11月25日に「ラストレシピ」を観させて貰いました。

11月3日に公開したのにだいぶ遅くなってしまいました。

とても素敵な映画だったので感想を書かせてもらいます。

映画の感想を一言で表せと言われるといろんな感情が浮かんできて難しかったのですが題にもある通り「感情のフルコース」としました。

フルコースというと「喜怒哀楽」全て入ってなくてはいけません。

この映画はその感情すべてが忙しなく交互に押し寄せてくるようでした。

まず「喜」これは度々ありました。まさに登場人物が笑顔になった時、私も「喜」の感情を持ちました。

心が通った時、新たなレシピが誕生した時、「美味しい」という一言を皆が言う時、、、細かく言えばきっと沢山あったと思います。人それぞれ感じる場所は違うので思い出してみて欲しいです。

次に「怒」これは映画の表向きの「お料理エンターテインメント」の裏に隠された史実への思いです。「戦争」とは武器を使った目に見える人殺しだけではなく、それよりも遥かに汚いモノがあったのだと。それは何より許し難いものだと、これに対する「怒り」です。

山形(西島秀俊)さんの最後はもちろん「哀」でもありますが鎌田(西畑大吾)くんの叫びを汲み取ればそこには少なからず、いや、哀しみ以上に「怒り」が含まれていると思います。

この作中には「死」という別れもあれば「物理的距離が離れる」別れもあり「心の距離が離れる」別れもありました。

この作品にどれだけの「別れ」があったでしょうか。

別れで始まり、別れで終わると言っても過言ではありません。

最後に、「楽」です。上記で「別れ」ばかりだと書きましたがその反面見てる側にとって楽しめる事がありました。それは「音」です。

野菜を切る音だったりものを炒める音だったり、水の音だったり人間の落ち着く音を大音量で味わえるのです。

ここにエンターテインメント性があると思いました。

こうして感情を主に4つに分けることができ、そのうちの一つに焦点を当ててみれば沢山のシーンと物語が詰まっている。

これは何かに似てると思いませんか。

私は作中に出てくる「春」「夏」「秋」「冬」のレシピの様だと思いました。

これは私が勝手に関連付けた自分なりのまとめです。少しでも共感してもらえたら嬉しいです。

最後に私が思った様にまとめるとこの物語は佐々木充(二宮和也)が自分の生まれる前を辿り、幼少期を思い出し、今を見つめ直し、未来を構想し直す、これは立派なコース料理の様だと思いました。

コースを作る人間が自分の人生の中のレシピを辿り、思い出し、練り直す、まるで多彩で内容の濃いコース料理そっくりです。

こうしてゆっくり思い出しながら書いてみると色々な考え方が出来るものだと思いました。

今の若者は「戦争」や「歴史」に興味がなく知識もないと思われがちですが少なくともこのラストレシピを観た人は何かしら思う事があって、考えたことがあったと思います。

出ている人のファンだから、この理由でいいと思います。全ては何かしらのきっかけからですから。

そのきっかけに正解はないし、十人十色で当たり前だと思います。

二宮くんを初めとした豪華出演者の方々の名演技をじっくり涙したり微笑みながら感じた2時間と少しの時間は本当に濃く、満腹になるフルコースでした。

私は1度しか観ていないのでこの程度の鑑賞文しか書けませんでしたので私はこんな風に感じたとかこのシーンが好きだとか教えてくれたら幸いです。

読んでくれてありがとうございました。

忍びの国から学んだこと 〜 Final ~

かなり久しぶりの更新になりました🤢

せっかく始めたのにこのまま中途半端で終わるのもと思いこの記事を最後と決めて書きます。

近くの映画館はほとんど千秋楽を迎えましたがまだやってる所があったので久しぶりに観てきました。

やっぱり良かった、何度観ても良かった!

もう辺りはナラタージュとラストレシピ公開一色ですね(笑)

人生っていうほど大した年数生きてませんが忍びの国は今までで一番観ました。

私の場合1回や2回だと智に気を取られすぎて内容や気持ちを読み取れず終わってしまいます。

けれど回数を重ねれば見えていなかった部分も自然と見えてくると思います。

こんなにも主人公以外の登場人物の気持ちを読み取ろう、気持ちの分岐点はどこだっただろう。と考えたのは初めてでとても楽しかったです。

1本の映画から学んだことが沢山ありました。

命の重さ、価値観の違い、人と人との関わり、、、、

その中で私が特に響いた中村監督からのメッセージは最後、大膳と左京亮の会話のシーンです。

忍びの国も滅びたな」と言った左京亮に対して大膳がいや、と否定します。

その後に大膳が言った「他人の事など歯牙にもかけぬ」この言葉が一番と言っていいほど胸に刺さりました。

その他人の事など歯牙にもかけぬ虎狼の族の血は天下を覆い尽くす、今、確かにそれは私たちを覆い尽くしていると思います。

他人の損や不幸は見なかった事にし、自分の利益だけを考える。この感情を表に出すか出さないかの違いだと思います。

忍びの国の者達はこれを堂々と表に出します。私たちは表ではよく振る舞い、心中では自分の損得しか考えていないのです。

忍びの者達は殺しも厭わぬ虎狼の族です。私達は人を殺める事こそそう簡単にしません。けれど忍びの者よりも賢く、上手く、悪く言えばずるく、人を内面から傷つける事を覚えたのです。

そんな考えにたどり着いた時戦国時代をテーマとした映画で今の自分達の在り方を考えることになるとは思ってもいなかったので鳥肌が立ちました。

なんて奥が深い映画なのだろうかと思いました。

かっこよく、面白く、感動もできて、内容が濃い、こんなにも完璧な映画に出逢って様々な感情に出会えて私は幸せです。

大野智を好きになって12年、小説に出会って数年、映画決定より、1年と少し、映画公開より3ヶ月。

あっという間に過ぎました。この様な素晴らしい映画を大好きな智をはじめとした沢山の人を通して感じる事が、出来て本当に楽しかったです。この作品でより一層いや、何層も(笑)智が大好きになりました。本当に尊敬しているしもう大好きな所しかありません。そしてその気持ちを文にして、読んだよって言ってくれる人が沢山いて本当に嬉しいです。大した数更新出来ず、内容も薄いブログでしたが今まで読んでくれてありがとうございました。

これからもずっとずっと智が一番大好きです。

こんな私をよろしくお願いします!

ありがとうございました。

fin

忍びの国から学んだことNo.4

また日にちが空いてしまいました🤦🏻‍♀️

今日は感想文をせっかく書いているので無門の境遇に対して持った感想を率直に書こうかなと思います。

 

どんな悪役であろうと結局智が演じてる事で私は愛してしまうし贔屓目を使ってしまうので無門を大野智とは別の人間として考えてみました。

そうしたらもちろん愛す部分の方が多かったし可哀想だと同情することもあったのですがそれとは別に報いは受けるべきなのではないかという感想も持ちました。

報いとは?って思うと思いますが順を追って私が思った無門にとって当然の報いについて書こうと思います。

無門は幼き頃に他国から伊賀に買われ本当の名も知らず実力から「あやつの前に門は無し」で「無門」となりました。

名も知らぬほど幼き頃に他国から買われるという事が今の私達にとっては無縁の話で漠然と可哀想だと思う事しか出来ません。

無門は実力を確実に自分のものとし伊賀一の忍びになりました。

他の忍び達よりも遥か上を行く実力を持とうと、心はほかの下忍と同じに過ぎず、金のため、己の欲望の為なら殺しも厭わない、虎狼の族の1人に過ぎません。

無門は下忍同士の小競り合いにそこまで積極的に参加している描写はなかったですが無門が家同士の小競り合いに本気で参加していたら、と考えたらゾッとします。全員命を落としてしまうんじゃないか、、、

そんな無敵の無門にも敵わないものがある、そう「お国」です。

お国はいっけん普通の人の様に思えますが安芸の武将の娘だからか意外にも血気盛んで誇り高く自らが戦に出るとまで言い出す気の強い人です。

そして、伊賀の者ではなかったはずなのに銭への欲は伊賀者よりも凄いのではないかと思います、(笑)

前回の更新で触れたように無門の心変わりの背景にはお国に加え平兵衛もいたのです。

人との関わりと他者の感情の起伏に向き合ううちに自分の中にある人間らしさが芽を出して無門は少しずつ、けれど確実に変わっていっていました。

平兵衛に「術にはめられていた」と言われた時こそ反応はなかったですがその言葉は無門の記憶にしっかり焼き付きそれはやがて怒りに変わりとうとう雇い主であった百地に反抗するのです。

しかし、正しい道への1歩だったその怒りが無門の大切なものを奪う事件の発端になってしまったのです。

お国の死です。

無門が初めて見せる感情的な自分。何度見ても心苦しかったです。

けれど冷静になって考えてみたら、己が欲望のために何の感情もなく殺された次郎兵衛、その他下忍や将軍にも愛する人達がいたに違いありません。

無門がお国を愛し、命失くす時泣き叫んだように彼らを愛し彼らの死に絶望を感じた家族や友人が必ずいたと思います。

無門は自分が最愛の人を亡くす当事者になる事でようやく、人の死の重さ、銭よりも大切なものがある事を知るのです。この時少しでも無門の脳裡に父を殺められ命をかけた願いを無門に託した北畠凛が蘇っていたらいいなと思います。

自分が無敵だった故、なかなか気付くことの出来なかった命の重み。これを自分の様に、それ以上に大切なものをなくす事で知る。残酷で悲しい事ですが私はこれこそこの映画の戦国エンターテインメントに隠された大切なメッセージだと思います。

報いという言い方はあまり良くないけれど無門が今まで無意識でしてきた悪行が何とも大きな仕打ちとなって帰ってきた、と思いました。

今改めてこうやって書いていたら和田竜さんを始めとした忍びの国に関わった人達にとても頭を使わされてるなと思いました。

用意されたものを見て感想を書くのですらかなり頭を使うのにそれを自らの頭で考え人にここまで感心、感動させるのは本当に素晴らしい仕事だと思いました。

あと少しで忍びの国の感想文も終わりにしようかなと思います。

今日も長かったですが読んでくれてありがとうございました🙇🏻

忍びの国から学んだことNo.3

今日は、いよいよ無門と平兵衛について書こうと思います。

明日で忍びの国公開から2ヶ月なのでスピード上げて書いちゃおうと思います🙇🏻

 

無門は伊賀一の忍びと言われるほど力のある忍びで誰もかなわないかと思えば下山平兵衛という無門に匹敵する力を持つ忍びがいます。

その2人は同じ様に思われますが技術は似ててもココロは全く違かったのです。

無門は金になるなら殺しも厭わぬ虎狼の族ですが平兵衛は同じ地に住みながらもどの人にも親もいれば子もいるという考え方を持ちむやみに殺してはいけないと思っていました。

 

平兵衛の愛する弟を亡きものにした無門に怒りを持ち伊賀攻めを心に決めた平兵衛と金になるから殺しただけだの心がない無門の気持ちは永遠に交わる事はないと思っていました。

 

しかし、無門の心を変えたのには紛れもなく平兵衛が関わっていたのだと私は思います。

 

「銭よりも大切なもの」これを分かっている平兵衛とそれを説かれ「分かってたまるか」と言い放つ無門。ここから物語は変わり出しました。

 

無門はきっとなぜ、平兵衛は伊賀一国を敵に回してまで虎狼の族を潰してしまいたかったのか。それが分からなかったと思います。

決死の戦いをするまでは。

 

戦が終わり、織田軍が兵を引き取り療養に専念しようとした時まだ無門は信雄を仕留め5千貫を手にすることだけを考えていました。

しかしそれを邪魔する平兵衛は川を申し出、無門もそれに乗ります。

伊勢の者には手を出すなと言われ初めはテキトーに返事をした無門だが本気の眼と気圧される様な話し方で「無門」と言われ「分かったよ」と返す無門ここから息を呑むような戦いが始まるのです。

お互い一歩も譲らぬ鋭い視線、素早い身のこなし互角の戦いが始まります。

初めは互いに外傷はなく刀と刀がぶつかり合い火の粉が飛ぶくらいの激しい摩擦が起こります。しかし段々互いの刀が体に当たるようになり無門も平兵衛も血を流します。その時私は無門もしっかりと人間なんだと思いました。

刀と刀に同等の力がこもり一瞬時が止まったようなシーンがあります。私はその時の無門と平兵衛の顔が忘れられません。

怒りを帯びた顔なのはもちろんですがそこに何故か笑みの様なものが混ざっているように見えました。

きっともう、この時無門の心は既に平兵衛によって変わっていたのだと思います。これは術でも何でもなく私達人間にある、気持ちを動かされたという事と同じなのではないかと思いました。

平兵衛は人として少しの時間を全うし、人として死ねるのだという悦びの様なものから零れた笑みだと思いました。

平兵衛の最後は何とも痛々しかったです。

横に何度も切られ、次に二刀流で裂かれフラフラになりながらもまだ無門に立ち向かおうとしますが最後は右胸を刺されました。

それでも平兵衛は人として死ねることを言い残したかった。その一言に対し無門は宥めるように「もう怒るな」と言いました。これは原作ではない映画オリジナルの描写でした。

映画の初めの方のシーンでも同じような事を平兵衛に宥めるように言いますがその時と言葉は同じでも無門の気持ちは違うものだったと思います。

絶命した平兵衛を哀れむように見たその後の無門の行動は今までの無門では想像もつかない言動でした。

大膳に平兵衛を伊勢の地に埋めるようお願いするのです。

私はこの時無門になんとも言えない感情が湧いてこの映画は本当に内容の濃い、考えさせられる映画だと改めて思いました。

邪魔をする忍びの性に合わない平兵衛が忍びの性に満ちた無門の心を術ではなく体当たりで変えてしまったのです。

無門にとってお国こそ大切だったというのは、映画を見なくても分かった事でした。けれどその無門の感情を手にするまでの道のりに平兵衛は欠かせなかったのです。

鈴木亮平さんの演技は本当に素晴らしかったです。そして智との体格差も何だか合っていたと思いました。

暑い中殺陣を死に物狂いで演じた事は確実に無駄ではなく映画の本意にぐっと近づけていた映画のターニングポイントの様なものだった気がします。

また、あのシーンを息を呑みながら観たいです。

今日は長くなりました。2000字近く語ってしまいました(笑)

ありがとうございました🙇🏻

忍びの国から学んだこと~番外編~

更新をとんでもなくサボりました。

忍びの国と、だいぶ離れた生活をしてました。けど、また忍びの国に浸りたくなって本を読み返したりしてるうちにまたシーンが鮮明に蘇ってきて、今回は感想じゃなくて特に気に入ったシーンを書くことにしました。

無門の登場を焦らす所が好きです。煙が立ち込めて周りの下忍達からどよめきが起こるとこちらも無門が出てくる、、、!って思ってソワソワしますがなかなか顔を見せない(笑)そこがとても私は好きです。

門を開けて登場した!と思ったら「けむ、」と呆気に取られるトーンの軽さで(笑)あんな身軽に動いて強い人の声ですか!?って思える所が好きです。

無門の言動は全て好きですが全部言っていたらキリがないので特に好きなところを抜粋します⚔️👦🏻⛩⚔️👦🏻⛩⚔️👦🏻⛩⚔️👦🏻⛩⚔️👦🏻⛩⚔️

築城のシーンで木を切ってる無門のアカペラは「智~!!!!!!」って感情も起こりますがなぜか無門の歌声!って感情も湧き起こる不思議な歌声でした。

銭が絡んでいるので割と真面目に築城に取り組む無門も笑えました。

織田軍から名前を言って報酬をもらう時の「無門!」の声が愛しくてカメラは引きで、マニアックになりますがいちいちキュンとしてました。

⚔️👦🏻⛩⚔️👦🏻⛩⚔️👦🏻⛩⚔️👦🏻⛩⚔️👦🏻⛩⚔️

次は十二家評定衆の総意を聞く時の姿勢です。

他の下忍は地にひれ伏すような格好をしますが無門は腕を組み少しだけ体を下げて(猫背)眉間にシワを寄せながら上目遣いで十二家評定衆を見上げます。

そこが無門っていうよりも大野智って感じで垣間見える大野智ポイントの一つだと思ってみてました。

⚔️👦🏻⛩⚔️👦🏻⛩⚔️👦🏻⛩👦🏻⛩⚔️👦🏻⛩⚔️👦🏻

可愛いシーンを紹介しましたが次は無門のカッコいいオススメシーンを。

やる気のなさそうなふざけた姿が多い無門が怒るシーン

信雄の寝床に侵入した際です。

「男はおろか、女子供すべての首を切り取り晒しものにしてくれるからそう思え」と言ったシーンで無門の頭にお国が浮かびました。

そうして無門は見たことも無い表情を浮かべます。

「ならばその首預けておこうわしが直々に戦場にておのれが首を切り取りおのれが名を地に叩き落とした上で地獄に落す」

この言葉を言った時の無門の目には怒りがこもり信雄も後ずさりしていました。

私も鳥肌が立ちましたが何度見てもカッコよかったです。

👦🏻⚔️⛩👦🏻⚔️⛩👦🏻⚔️⛩👦🏻⚔️⛩👦🏻⚔️⛩👦🏻

かなり絞ってあと三つほど好きなシーンがあるのですがそれはまたにしたいと思います。

明日はサボらないようにしたいと思います(笑)

読んでくれてありがとうございました🙇🏻

 

 

忍びの国から学んだことNo.2

昨日は脳が働かなくて(いつも)サボりました。

今日は細かいけど忍びの国における音楽の必要性を語らせてもらおうかなと思います。

この感想文を書く時は忍びの国オリジナルサウンドトラックを聴きながら、シーンを鮮明に思い出しながら、書いてます。

不思議なことにサウンドトラックを聴きながらだとより鮮明にシーンを思い出すことが出来ます。

漠然と、ではなくキャラクターの動きはもちろんセリフも一言一句思い出され、後ろの景色さえ思い出されます。

きっと本編を見ている時はキャラクターの動きや、セリフに気を取られ音楽なんて聞いていないと思いますが実際音楽を聴いてみると一度しか見ていない私の母もこの音楽はあのシーンだ!って思い出していました(笑)

何気ないように思えてサウンドトラックってとても重要な役割を担っているんだなと思いました。

サウンドトラックは37種類あるのですがその中でいくつか被ってる曲があって、音程自体は全く同じでも少し低い音が混ざっていたり、テンポが違ったりして、はじめ聞いた時は同じ曲だと思えなかったりします。

3回目位までは智を見ることばっかりに集中していて音楽なんて気にもとめてませんでした。

北畠具教のシーンと大殿(北畠具教)が息絶え、大膳が大声を出すシーンの音楽はとても似てるように思えますが音の重さが違くてその違いに気付くと感動します。

無門が出てくるシーンで流れる音楽は基本軽いテンポでのんびりした雰囲気が出ています。

まぬけな音を使っていて無門の怠け者な所がよく表されていました。

音楽は主人公の心をセリフ以上に表していると思います。

平兵衛のシーンの後ろで流れる音はいつだって重いのです。

怒り、悲しみ、を静かに、力強く表していて平兵衛にとてもあっていると思います。

信雄が決心するシーンや、大膳のシーンは力強い武士を表す低音が響いていました。

無門の後ろで流れる音楽はいつだって明るく調子のいいはずでしたが信雄の寝床に侵入した際、信雄に「男はおろか女子供すべての首を切り取り、晒し者にしてくれるからそう思え!」と言われた時に怒りが芽生えた無門の後ろで流れる音楽は重く、恐怖さえ覚える不気味な音でした。

「ならばその首預けておこう。わしが直々に戦場にておのれが首を切り取り、おのれが名を地に叩き落とした上で地獄に落す」

これは私の中で一番を争うくらい好きな台詞です(どうでもいい)

この台詞を音がより際立たせていたと思いました。

天正七年九月信雄が出兵する際の音はなんとも勇ましく武士の強さを象徴する様な音楽でした。

無門は並外れた強さなのにその背後に流れる音は(戦の際)いつだってアップテンポでふざけているように思えます。

それこそがあからさまに出ない無門の真の強さを象徴しているのだと思いました。

少し飛び、平兵衛と無門の川のシーンではとても小さな音がゆっくりと人として死にゆく平兵衛の最後の生き様をスローな映像と合わせて流れます。そこが何とも言えない悲しさと切なさを演出していると思いました。

そこで少し音が消え、「分かったよ、もう怒るな」と無門が静かに放つシーンでも忍びとは似つかない、けれど温かい音楽が流れるのです。

その忍びとは似つかない音楽が流れることによって元々忍びであった平兵衛が人として死ぬこと、無門の中に漠然と、けれど確かに人を思う心が芽生えたことを表しているのだと思います。

そして、お国に「本当の名を聞かせて」と問われ、涙ぐみ、涙を流すシーンでは幼き無門と共に大切なものを失う無門の寂しい心のような音楽が流れていました。

「おのれらは人間ではない」と一言放ちお国を抱き去っていくシーンでは悲しい現実であるのにどこか爽やかで今までの無門では有り得なかった音楽が流れていました。

こうして、改めてセリフと共に文にまとめてみると本当に音楽は大切な役割を担っているのだと改めて気付かされました。

また、観にいきたくなりました(笑)

まだ観に行く予定がある人は後ろの音にも気をつけて聴きながら観てほしいなと勝手ながら思いました。

今日は長くなってしまいましたが読んでくれてありがとうございました🙇🏻