忍びの国から学んだことNo.2
昨日は脳が働かなくて(いつも)サボりました。
今日は細かいけど忍びの国における音楽の必要性を語らせてもらおうかなと思います。
この感想文を書く時は忍びの国オリジナルサウンドトラックを聴きながら、シーンを鮮明に思い出しながら、書いてます。
不思議なことにサウンドトラックを聴きながらだとより鮮明にシーンを思い出すことが出来ます。
漠然と、ではなくキャラクターの動きはもちろんセリフも一言一句思い出され、後ろの景色さえ思い出されます。
きっと本編を見ている時はキャラクターの動きや、セリフに気を取られ音楽なんて聞いていないと思いますが実際音楽を聴いてみると一度しか見ていない私の母もこの音楽はあのシーンだ!って思い出していました(笑)
何気ないように思えてサウンドトラックってとても重要な役割を担っているんだなと思いました。
サウンドトラックは37種類あるのですがその中でいくつか被ってる曲があって、音程自体は全く同じでも少し低い音が混ざっていたり、テンポが違ったりして、はじめ聞いた時は同じ曲だと思えなかったりします。
3回目位までは智を見ることばっかりに集中していて音楽なんて気にもとめてませんでした。
北畠具教のシーンと大殿(北畠具教)が息絶え、大膳が大声を出すシーンの音楽はとても似てるように思えますが音の重さが違くてその違いに気付くと感動します。
無門が出てくるシーンで流れる音楽は基本軽いテンポでのんびりした雰囲気が出ています。
まぬけな音を使っていて無門の怠け者な所がよく表されていました。
音楽は主人公の心をセリフ以上に表していると思います。
平兵衛のシーンの後ろで流れる音はいつだって重いのです。
怒り、悲しみ、を静かに、力強く表していて平兵衛にとてもあっていると思います。
信雄が決心するシーンや、大膳のシーンは力強い武士を表す低音が響いていました。
無門の後ろで流れる音楽はいつだって明るく調子のいいはずでしたが信雄の寝床に侵入した際、信雄に「男はおろか女子供すべての首を切り取り、晒し者にしてくれるからそう思え!」と言われた時に怒りが芽生えた無門の後ろで流れる音楽は重く、恐怖さえ覚える不気味な音でした。
「ならばその首預けておこう。わしが直々に戦場にておのれが首を切り取り、おのれが名を地に叩き落とした上で地獄に落す」
これは私の中で一番を争うくらい好きな台詞です(どうでもいい)
この台詞を音がより際立たせていたと思いました。
天正七年九月信雄が出兵する際の音はなんとも勇ましく武士の強さを象徴する様な音楽でした。
無門は並外れた強さなのにその背後に流れる音は(戦の際)いつだってアップテンポでふざけているように思えます。
それこそがあからさまに出ない無門の真の強さを象徴しているのだと思いました。
少し飛び、平兵衛と無門の川のシーンではとても小さな音がゆっくりと人として死にゆく平兵衛の最後の生き様をスローな映像と合わせて流れます。そこが何とも言えない悲しさと切なさを演出していると思いました。
そこで少し音が消え、「分かったよ、もう怒るな」と無門が静かに放つシーンでも忍びとは似つかない、けれど温かい音楽が流れるのです。
その忍びとは似つかない音楽が流れることによって元々忍びであった平兵衛が人として死ぬこと、無門の中に漠然と、けれど確かに人を思う心が芽生えたことを表しているのだと思います。
そして、お国に「本当の名を聞かせて」と問われ、涙ぐみ、涙を流すシーンでは幼き無門と共に大切なものを失う無門の寂しい心のような音楽が流れていました。
「おのれらは人間ではない」と一言放ちお国を抱き去っていくシーンでは悲しい現実であるのにどこか爽やかで今までの無門では有り得なかった音楽が流れていました。
こうして、改めてセリフと共に文にまとめてみると本当に音楽は大切な役割を担っているのだと改めて気付かされました。
また、観にいきたくなりました(笑)
まだ観に行く予定がある人は後ろの音にも気をつけて聴きながら観てほしいなと勝手ながら思いました。
今日は長くなってしまいましたが読んでくれてありがとうございました🙇🏻