綴るのが好きな一人の人間の独り言。ジャンルはありません。

忍びの国から学んだことNo.3

今日は、いよいよ無門と平兵衛について書こうと思います。

明日で忍びの国公開から2ヶ月なのでスピード上げて書いちゃおうと思います🙇🏻

 

無門は伊賀一の忍びと言われるほど力のある忍びで誰もかなわないかと思えば下山平兵衛という無門に匹敵する力を持つ忍びがいます。

その2人は同じ様に思われますが技術は似ててもココロは全く違かったのです。

無門は金になるなら殺しも厭わぬ虎狼の族ですが平兵衛は同じ地に住みながらもどの人にも親もいれば子もいるという考え方を持ちむやみに殺してはいけないと思っていました。

 

平兵衛の愛する弟を亡きものにした無門に怒りを持ち伊賀攻めを心に決めた平兵衛と金になるから殺しただけだの心がない無門の気持ちは永遠に交わる事はないと思っていました。

 

しかし、無門の心を変えたのには紛れもなく平兵衛が関わっていたのだと私は思います。

 

「銭よりも大切なもの」これを分かっている平兵衛とそれを説かれ「分かってたまるか」と言い放つ無門。ここから物語は変わり出しました。

 

無門はきっとなぜ、平兵衛は伊賀一国を敵に回してまで虎狼の族を潰してしまいたかったのか。それが分からなかったと思います。

決死の戦いをするまでは。

 

戦が終わり、織田軍が兵を引き取り療養に専念しようとした時まだ無門は信雄を仕留め5千貫を手にすることだけを考えていました。

しかしそれを邪魔する平兵衛は川を申し出、無門もそれに乗ります。

伊勢の者には手を出すなと言われ初めはテキトーに返事をした無門だが本気の眼と気圧される様な話し方で「無門」と言われ「分かったよ」と返す無門ここから息を呑むような戦いが始まるのです。

お互い一歩も譲らぬ鋭い視線、素早い身のこなし互角の戦いが始まります。

初めは互いに外傷はなく刀と刀がぶつかり合い火の粉が飛ぶくらいの激しい摩擦が起こります。しかし段々互いの刀が体に当たるようになり無門も平兵衛も血を流します。その時私は無門もしっかりと人間なんだと思いました。

刀と刀に同等の力がこもり一瞬時が止まったようなシーンがあります。私はその時の無門と平兵衛の顔が忘れられません。

怒りを帯びた顔なのはもちろんですがそこに何故か笑みの様なものが混ざっているように見えました。

きっともう、この時無門の心は既に平兵衛によって変わっていたのだと思います。これは術でも何でもなく私達人間にある、気持ちを動かされたという事と同じなのではないかと思いました。

平兵衛は人として少しの時間を全うし、人として死ねるのだという悦びの様なものから零れた笑みだと思いました。

平兵衛の最後は何とも痛々しかったです。

横に何度も切られ、次に二刀流で裂かれフラフラになりながらもまだ無門に立ち向かおうとしますが最後は右胸を刺されました。

それでも平兵衛は人として死ねることを言い残したかった。その一言に対し無門は宥めるように「もう怒るな」と言いました。これは原作ではない映画オリジナルの描写でした。

映画の初めの方のシーンでも同じような事を平兵衛に宥めるように言いますがその時と言葉は同じでも無門の気持ちは違うものだったと思います。

絶命した平兵衛を哀れむように見たその後の無門の行動は今までの無門では想像もつかない言動でした。

大膳に平兵衛を伊勢の地に埋めるようお願いするのです。

私はこの時無門になんとも言えない感情が湧いてこの映画は本当に内容の濃い、考えさせられる映画だと改めて思いました。

邪魔をする忍びの性に合わない平兵衛が忍びの性に満ちた無門の心を術ではなく体当たりで変えてしまったのです。

無門にとってお国こそ大切だったというのは、映画を見なくても分かった事でした。けれどその無門の感情を手にするまでの道のりに平兵衛は欠かせなかったのです。

鈴木亮平さんの演技は本当に素晴らしかったです。そして智との体格差も何だか合っていたと思いました。

暑い中殺陣を死に物狂いで演じた事は確実に無駄ではなく映画の本意にぐっと近づけていた映画のターニングポイントの様なものだった気がします。

また、あのシーンを息を呑みながら観たいです。

今日は長くなりました。2000字近く語ってしまいました(笑)

ありがとうございました🙇🏻